熊猫日誌

熊猫の記憶の物置

以前は“当たり前”だと思っていた

7月12日の午後4時頃、私は学芸大学駅に降り立った。
目的地は、ここから少々距離がある。
なるべく歩きたくないのであれば、目黒駅からバスに乗った方がいい。けれど、この日は歩きたかった。気持ちを整理する必要があったから。

前夜から緊張で、血が沸騰しそうになっていた。
これは下手したら、発熱と勘違いされるかもしれない。そうでなくても暑さとマスクのせいで、体温は高め。
途中のコンビニで冷たい缶コーヒーを買った。それを自分の首に当てて、体温を下げる。冷たくて気持ちよかった。

そこからまだ歩く。まだ緊張は解けない。

やがて目的地が見えてきた。LIVE HOUSE APIA40。
滝本晃司さんのワンマンライブ。
この日は配信もあるけれど、人数制限付きでの有観客ライブでもあった。

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「やっと戻ってこられた」、と思った。

お店は地下にあるから、客は地下に入る階段に並んで開場を待つ。その階段を覗くと、開場二時間前だというのに、すでに二人並んでいた。
彼らは音友さんで、その二人に会うのも久しぶりだった。再会とお互いの無事を、しばし喜び合った。
それからまもなく、他の友人が到着。「久しぶり!」
Twitterの相互でもあり、LINEでも連絡が取れるひとたち。
けれど、会えたことがうれしい。
気持ちがはしゃいでしまって、抑えるのに必死だった。

私は基本的に、ひとりで会場に向かう。
最初の頃はひとりで行き、ひとりで観て、終わったらさっさとひとりで帰っていた。それはそれでも楽しいライブ通いだと思う。
しかしライブ通いも10年近くやっていると、顔見知りが増える。話しかけていただいて、それに応えていれば自然に増える。そのうちのひとりが使っている言葉を使わせていただくと、“音友”。推しが被っている、好きな音楽で繋がっている皆さん。
実は自宅待機中でも、一部の方々とはWebで鑑賞会をやっていた。会話は楽しかったけれど、チャット。文字の応酬だった。
だから久しぶりの対面、会話。
同じ空間での会話は、なんて心地よいのだろう。マスク越しでも。

これは、以前は“当たり前”のことだった。

そして開場。

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座席は密を避けるために、ひとつおき。最前列は演者から結構離されている。
配信のためのカメラが設置されていて、ステージもいつもとは雰囲気が違っていた。
けれどこれらのレイアウトは、とてもステキだったように思う。後で配信を観たら、ワクワクするものしか入っていない宝物箱のようだった。
この苦境の中、お店ががんばって生み出した魅力のひとつ。

久しぶりにお会いした滝本さんも、緊張していたとのこと。けれどとても嬉しそうだった。だから観ているこちらも、自然と顔が緩む。

一本のギター・ピアノ・ウクレレと、声だけで作り上げられる世界。
そのあたたかい水の中で、漂うように過ごす。
これは3月までだったら、当たり前に享受できることだった。
ライブのブッキング・告知後を待ち、
予約をして、
会場に足を運んで、
チャージ・ドリンク代を払う。
これで簡単に、その世界を手に入れることができていた。

それが“当たり前”ではなくなった。

それでもいろんな方々の努力の結果、この日を迎えることができた。
その場に居られた幸せ、そして感謝を、キュッと噛みしめる。
ここで気付いた。

きっと、元々が“当たり前”ではなかったのだ。
奇跡の連続が起きていたからこそ、“当たり前”だと感じてこられただけのこと。いろんなひとたち(自分も含めて)の尽力あって、これまで楽しんで来られたのだということに、私はようやく気がついた。私は戻って来られたのではなく、新しい一歩を踏み出せたのかもしれない。

滝本さんも以前は当たり前のように思っていたことが、この日は「いちいち嬉しい」と仰っていた。拍手で浮かべた満面の笑み。きっと会場にいた私たちも、配信を観ていたひとたちも、同じ笑顔だったと思う。
またこの夜に再会できた音友さんたちの笑顔と声も、かけがえのない宝物だと思った。


忘れられない日になった。